私の航海図 

人生のスパイス的な 日々のひらめきのメモ的な 

『 毎日ワクワクできる「生活の百姓」に 』

 人生ってなんでもありなんだ。
って思ったのは本を読んでからだった。

大学生の頃、サッカーの練習をし過ぎて椎間板ヘルニアになり入院して
2ヶ月くらいほぼ寝たきりの生活で、本を読むしかなかった。

サッカー命だった当時は本当に辛かった。

今思えば、あの辛い経験がなきゃ人生もっと苦しいものになっていたと思う。

生まれてはじめて人生について考えた時期だった。

サッカーで食えなきゃどうするの?って

その時読んだ本の一つが沢木耕太郎さんの”深夜特急




その時観た映画のひとつが山田洋次監督の”十五才 学校IV”


大学時代の後半はバイトして金貯めて日本を一人で旅するようになりました。

船で東京湾➡徳島経由の福岡門司港

門司からはヒッチハイクや高速バスで九州を周り、屋久島まで行きました。

帰りは鈍行電車で帰りました。

多くの出会い、最高の想い出、最高の経験だった。

これから紹介する田中優さんのメルマガを読んでそんなことを思い出しました。

サラリーマンになってからワクワクすることが本当に少なくなったと感じます。

これからどうやって生きていこうか毎日自問自答の日々。

これからの”生き方”のヒントを与えてくれた記事です。

是非ご参考になさって下さい⬇

田中優さんのメルマガでグッときた素晴らしい文章があったのでシェアします⬇

▼ 生きる意味を感じない社会

 国家公務員一般労働組合のブログ「すくらむ」に、就職できずに自殺した「就活
自殺」のデータがまとめられている。この三年間、毎年50人以上が自殺している。
 それだけでなく2011年からは学生・生徒の自殺もまた毎年1000人を超えるように
なった。年代で最も自殺死亡率が多いのが20代で、続いて30代、次が19歳以下に
なっている。年々増え続けているのが「勤務問題が原因の自殺」で、2007年時点と
比較して22%も増加している。

 ブラック企業だけでなく、人減らしで仕事がきつくなり、効率的に仕事のできない
人への風当たりが強まっているのだと思う。


 なんと住みづらい社会を作ってしまったのだろうか。せっかく育てた我が子に
自殺されることは、想像するだけでも身の毛がよだつ。政府は近年「自殺対策白書」
を作ったが、少子化問題と同じで肝心の企業への規制を打ち出さないのだから解決
には向かわない。

 若者は未来に絶望し始めている。その子を責めることは簡単だが、本当のところ、
私たちの社会は絶望的ではないと言えるだろうか。未来にワクワクできるから生き
ていける。
 でも正直なところ、未来にワクワクして生きている人がどれだけいるだろうか。



 ▼ 自分で決めれば後悔しない

 本を書いたり大学で教えたりしているせいか、私自身をエリートと勘違いする人も
少なくない。全然違うのだ。

 原発を推進する人たちが、私を誹謗するために「夜間大学を差別するわけではない
が、田中優は夜間大学しか出ていない」とツイッターに書いていた。

 それは事実だが、その人は調べが足りない。私は高校すら中退していて卒業できて
いない。「大学入学資格検定(今は「高等学校卒業程度認定試験」という)」で大学
入学資格を得ただけで、卒業できていないのだ。ついでに言うと、最後にもらった
夜間高校の通信簿には「落第」と書かれていた。


 その頃の私は日本中を旅してばかりいた。出席時数を計算しながら、三分の一は
欠席してバイトで得たお金で貧乏旅行を続けていた。15歳から17歳までの間、たった
ひとりでテントを担いで歩きまわっていた。

 昼間が暑ければ深夜に歩き、ランタンの灯りで文庫本を読み、何かをつかみたくて
放浪していた。危険な目に遭ってもやめる気にならなかったのは、こんなことのせい
だと自分で思っていた。


 「今は大自然の中にいて、その美しさに感動する。おそらく大人になれば、こんな
感性を持つことはできないだろう。旅するのは大人になってからでは無意味だ。今の
時点で旅しなければ得られない。教室の中にいたのではダメになる」と。自己正当化
と言えばそうかもしれない。

 しかし自分で決めて動くことに後悔はないのだ。

 惜しくも計算違いのせいで退学になったり落第になったりした。もちろん自分の
ことは人間のクズだと思っていた。まともに学校も行けず、仕事も長続きできないの
だから。


 ▼ 離陸

 大学は楽しかった。「もう辞めよう」と思っていた一年生の終わり、学生運動
後期試験を中止させた。そして自宅に「至急レポートを提出せよ」と小包が送られて
きた。見ると課題図書を読んでレポートを書くだけのことだ。好き勝手に読んで書い
た。驚いたことに、すべてのレポートが高く評価されていた。自分の思い通りに書い
て評価されたのは初めてのことだ。

 それまでいつも、「そうは教えていない」と否定されるばかりだったからだ。そこ
から学ぶことの楽しさに火がついた。卒業までに二回卒業できるほどの単位を取り、
卒業するとそれまで5年勤めた地方公務員を退職し(高卒前に高卒程度で就職して
いた)、そのまま朝から晩まで大学の図書館で学び続けた。


 翌年、国家公務員を蹴って再び地方公務員になった。仕事の奴隷になりたくなくて
選択した。中卒で町工場に勤めていた頃、昼休みもなく社長の車を洗わされていた。
賃金以上に働いた分は社長のポケットに入るのだ。仕事をまじめにした分が、住民の
利益になる方がよほどいいと思った。同僚からは人気があったが、上司の評価は芳し
くなかっただろう。

 仕事はするが、服従しないからだ。仕事に魂を売った訳ではないのだから、自分が
必要だと信じる活動を続けた。やがて兼業許可を得てする副業(講演や出版)の収入
が本業と並ぶまでになり、区を早期退職した。



 ▼ 生活の百姓

 以前書いたとおり、今は岡山県に越して電気も水道も自給する暮らしをしている。
しかしトイレは水洗だし、晴れた日には電気が余るほどあって、何ひとつ我慢はして
いない。東京にいたとき、家賃は12万円だった。今は古民家つきの住まいなので家賃
もかからない。時折、近所の人が野菜を持ってきてくれる。

 おカネを尺度にしない安心できる暮らしがある。ある友人は相手の家に出かけて
料理する「ケータリング」の仕事をしている。彼もまた多くを自給しているので、
月に25日以上は休めると言っていた。


 私たちの社会は労働生産性も上がり、以前より少ない労働で多くを生産できるよ
うになったはずだ。その余暇はどこに搾取されてしまったのか。その答えはデフレ
にあった。その分だけ生産用具が安くなり、自ら生産するならゆっくりと暮らせる
社会にもなっていたのだ。

 おカネに依存してサラリーだけで暮らそうとするのは、実はリスクが高い。会社を
クビになるなり倒産するなりしたら自殺するしかなくなるからだ。

 リスクの低い暮らしはさまざまな収入源を持つ、「生活の百姓」になることだ。
百姓とは百の生業を持つことを指す。だからひとつが不作でも、残りの99の生業で
安定して暮らせるのだ。