他人と違うことをとことん突き詰める勇気のある人間が突き抜けていく
人は誰かと同じことで安心感を得る、でも誰かと同じことが自分にとって最適ではないことに関して鈍感である
自分以外の誰かのルール上で生きていくことは時に楽で、時に自分を殺す。
自分の心はNOと言っているのに自分以外の誰かの声を優先しなければ基本的には生きていけない社会構造になっていると僕は思う。多くの人は他人のルール、いわゆる社会のルールの中で生きていく。そして多くの人と同じことをすることで人は安心する。それでみんなハッピーならなんの問題もないと思う。しかし僕は幸せを感じていない。会社という組織に入りあたりを見回すと8割の人間は幸せには見えない。
人間は誰かと同じことで安心感を得る生き物であるが、誰かと同じことが自分にとって最適ではないことに関して鈍感な生き物である。本当にそう思います。
— KEI 2016年〆 (@Keivivito) April 19, 2015
不必要なものだけが必需品であるこの時代に”やるべき5の事” http://t.co/69oQPsi0Xz
自分にとっての幸せや最適な状態はなんなのか
最近、既存の仕組みの中で働くことが本当にキツイと思うようになってある問題に気づいた。一概に既存の仕組みが悪いわけではない。今ある会社や組織というのは創業者やトップにとって最適に設計されているわけだからそこで働かせてもらってる僕が文句を言うのは間違っている。自分が快適じゃない原因は自分にしかない。自分が快適に過ごせないのは環境に馴染めない自分であり、組織に強制されたり矯正させられることが嫌な自分がいるのであれば、自分にとっての最適を自分をみつけだすしかない。世の中は既存の仕組みに最適化させるために設計されている。一般的に世の中で必要とされるスキルや教養を身につける為に教育される。
既存の仕組みの中に身を置くことを躊躇う日々。世の中の在り方は変わらないけど、自分の在り方は変えることができる。とことん自分を突き詰めればきっとそこに自由がある。
— KEI 2016年〆 (@Keivivito) April 26, 2015
生きることに意味はない。そこにあるのはよろこびだけだ。 - いばや通信 http://t.co/4BZMchQB96
成功者はみな他人の目を気にしない
ホリエモンやソフトバンクの孫正義がわかりやすいけれど、彼らの言動や行動に多くの人の批判や非難があった。いまもなおある。それも強烈な批判だ。その批判の内容のほとんどは、一般的におかしい!普通はありえない!ルールを壊すな!といった、世間一般のルールや価値観とは違うから批判しまくるわけです。それでも他人目線ではなく自分目線を貫き通したからいまの彼らが存在し結果として自分の好きなことで社会に多大な価値をもたらしている。普通とか世間一般とかではなく、自分がどうしたいかというのを突き詰めてそれに向かって爆走した。
はみ出し者を罵倒する連中も、とことんはみ出して成功を掴み取る人間を崇拝する。人間なんてそんなもの。他人と比べたり他人の目を気にする事ほど愚かな事はないという事。 pic.twitter.com/PQbWZtahg9
— KEI 2016年〆 (@Keivivito) April 27, 2015
これからの世の中、何が正しくて何が間違ってるのかわからないからこそ正解は自分で導き出すしかない
これから既存のルールが大きく変わる。
求められるスキルも考え方も、もうすでに少しづつ変わってきている。しかしながら世の中の大半はまだ既存の仕組みに合わせたスキルや情報しか提供してこない。これから新しい時代が確実にやってきて今ある仕事の在り方も大きく変わるかもしれない。しかも何が正しくて何が間違ってるのか誰にもわからない。今、このタイミングで僕にできることは自分にとっての最適な在り方に近づく為に自分の欲求を追求しなければならないと思う。多くを犠牲にしてでも大事なのは他人の目が介在しない自分の目で考え生き抜く術にフォーカスするしかない。
走ることは時に受難の享受でもある。
— KEI 2016年〆 (@Keivivito) April 26, 2015
走り続けると苦しみに感謝したくなる時が必ずくる。苦しみの先に必ず得難い結果があるからこそ人は走り続けるんだろうなぁ。これは人生と同じなんだなぁ。 pic.twitter.com/jmjqxeUQ7U
夕日に照らされて走っているとふっ感じた。
走っていると苦しい瞬間が必ず訪れる。でも苦しみの先に必ず得難い快感が待っている。心身ともに得難い快感、気持ちの良い疲労感。人生も同じ。苦しい勉強や仕事の先には必ず得難い快感や感情が訪れる。だから僕たちは走り続ける。
苦しみに感謝!