「やりたいことをやろう!」という声に惑わされてはいけない。「痛み」から逃れても何も得られないことに気付かなきゃいけない!
私は「家のない生活」を通じて立身出世をした訳だけれど、これは「ホームをレスする」という受難を経由したことで獲得出来た報酬になる。巷で頻繁に耳にする「やりたいことをやろう!」とか「ワクワクすることをやろう!」という掛け声に感じる違和感の正体は、受難の欠落だと思いました。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) March 23, 2015
巷に溢れる「やりたいことをやろう!」とか「あなたらしい人生を生きよう!」とかそういう言葉に惑わされている人は沢山いるんじゃないだろうか。
僕自身、多くの方々からこういった言葉を頂いた。
あなたらしい人生を生きるための提案をしてくれる人はありがたいことに周りにも沢山いる。
こういった言葉は時に未来への希望を与えてくれるし、現状を変えなきゃいけないということに気づかされることはある。
でも多くの場合、坂爪氏が言うように受難が欠落している。
受難というのは、簡単に言えば「苦しみ」や「痛み」や「犠牲」である。
「やりたいことをやろう!」という言葉には、受難を否定するニュアンスが含まれている。辛いことや苦しいことをやってても成功しませんよ。好きなことだけやって生きていこうよ!と
「苦しみ」や「痛み」が伴うことを遠ざた結果、結局何も得られない。何も変わらない。という状態にいる人はきっと沢山いる。
僕もそうだった。
「自分のやりたいこと」を実現するためには必ず「犠牲」にしなければならないことがあるはずだ。収入を犠牲にしなければならないし、家族や友人との時間を犠牲にしなければならないかもしれない。
そこには「苦しみ」が伴う。
欲しいものを我慢する苦しみ。大事な人との時間を失う苦しみ。
つまり受難なくしては何も得られないことに気付きにくい。
「やりたいことをやろう!」という言葉に惑わされずにしっかりと自分と向き合う時間を作るべきだ。「やりたいこと」なんて探したってみつからない。
結局、自分のできることで誰かの幸せに貢献することが自分の幸せに繋がる。
だから、考えるべきなのは自分の得意なこと、あるいは自分にとって簡単にできることを磨いていくべきだ。
年収一億稼いで「このお金で何しよう」って引退後のことを考える人よりも、一生続けたいと思ってる仕事で勝負かけて、今を生きてる人のほうが何倍もかっこいいと思った。
— はあちゅう@半径5メートルの野望 (@ha_chu) April 4, 2015
つまりこういうことで、お金を稼いで他人から羨まれたいとか、そういうのは他人の人生を生きることであり自分の本質的な部分の欠落でしかない。一生続けられることを仕事にして今この一瞬一瞬を生きることが豊かさに繋がるのである。
がんばればできるなら、全員金持ちになっちゃう。そういうわけにはいかない。http://t.co/siJpSEitRl
— ビートたけしの名言 (@takeshimeigen) April 5, 2015
頑張ればできる!という言葉に惑わさちゃいけません。
他人の何倍も何十倍も頑張らなければ結果はついてこない。
他人の何倍も何十倍も頑張れることを選ぶべきなのである。
そこには受難が伴う。
「痛み」から逃れてはいけない。
「苦しみ」から逃れて得られるものはない。
自分が頑張れることだからこそ「受難」に耐えられるのだと思う。
受難を受け入れよう。
僕たちの人生を歩いていこう。